「商標の知覚主義の目線」からのコンペティション by 酒井 いづみ (コラム協創&競争/Vol.2,No.4,2021.9.27)

コラム『協創&競争』

コラム『協創&競争』

当学会は、協創、競争、そして、サステナビリティを結びつける「場(領域)」に関わる研究調査の成果を蓄積することにより、開かれた科学の目線から新たな学問を深化させることを目指しております。それらの場(領域)に関わるトピックテーマを「Vol.」(巻)として、それぞれの「Vol.」の中に、おおよそ10個ほどのコラムを連載することにしました。 「安心・安全」「資源循環」「e-スポーツ文化」などの研究分科会に参加する方々からのコラム投稿も増えることを期待します。(JASCC.ORG事務局)

 コンペティション(競争;Competition)について、「#知覚」、「#識別力」、「#信用形成」のコンセプトを使いながら考えてみよう。

視覚と聴覚のコンペティション

 2015年(平成27年)の商標法の改正により、知覚で認識できる商標(音商標、動き商標、色彩のみからなる商標)が「新しいタイプの商標」として保護の対象となった。長きに渡って、商標としての標章は視覚的に認識されるものとされてきた。他国との国際競争力という視点からすると遅き改正ではあったが、この改正で「人の知覚によって認識することができるもの」と定義ざれ、標識の知的財産権は視覚主義の時代が終わり、知覚主義の時代が始まった。「新しいタイプの商標」は企業のブランド戦略において、ブランド保護の面と、市場での競争において差別化の手段としての役割が期待される。

 このコラムでは知覚のうち「聴覚」で認識される「音商標」について取り上げ、「視覚」と「聴覚」のコンペティッションという切り口から、企業が直面している競争の質的な変化にフォーカスを当ててみる。

音商標登録のハードル - 識別力獲得という壁

 音商標は、「音楽、音声、自然音等からなる商標であり、聴覚で認識される商標」と定義されている。(https://www.jpo.go.jp/system/trademark/gaiyo/newtype/index.html

 商標の機能の本質は、市場において自己の商品やサービスと他人の商品やサービスを区別するための「識別機能」であり、音商標においても識別力は要件となる。商標審査基準によれば、出願時には「音商標を構成する音の要素(音楽的要素及び自然音等)及び言語的要素(歌詞等) を総合し商標全体として考察」して判断するとされている。

 音商標の出願態様は、メロディ、ハーモニー、リズム又はテンポ、音色等から構成される「音の要素」のみのもの、「言語的要素」と「音の要素」の組み合わせによるものの2つに大別される。

 「言語的要素」と「音の要素」の組み合わせによるものは、言語的要素に自他商品識別力があれば音の要素に識別力がないとしても商標全体として識別力があると判断され登録可能となる。例えば、久光製薬「HISAMITSU」(登録5804299号)伊藤園「おーいお茶」(登録5805757号)ライオン「キレイキレイ」(登録5842092号)江崎グリコ「グリコ」(登録5902044号)など。

 一方「音の要素」のみから構成されるものについては、言語との組み合わせに比べ自他商品の識別力の欠如を拒絶理由に審査のハードルが上がる傾向がみられる。以下4件も2年以上審査にかかりようやく登録されている。大幸薬品の正露丸のラッパの音(登録5985746号)、インテル・コーポレーション (登録5985747号)、BMW(国際登録1177675号)、三菱UFJフィナンシャル・グループ (登録6115374号、6115375号) 。

 商標制度は登録主義に基づくのではあるが、特許権など他の知的財産権とは異なり、将来識別力が生じることを前提に権利を付与する仕組みである。しかしながら、「音の要素」のみの場合、出願時に明確な自他商品識別力が求められる。そのため、継続的な使用と識別力の獲得の立証が必要となり登録へのハードルは高い。

「マツモトキヨシ」と聞いて連想するのは氏名?店名?-知財高裁が取り消した特許庁の審決

 マツモトキヨシホルーディンクスが出願した「マツモトキヨシ」という言語的要素が含まれる音の商標(商願2017-007811)の登録が認められなかった事案について、知財高裁は2021年8月30日、特許庁の審決を取り消した。本願商標の「商標法4条1項8号の該当性の判断の誤り」という事由である。

(株)マツモトキヨシホールディングスが出願した音の商標
(https://www.ip.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/553/090553_hanrei.pdf)

 本件の争点は、「マツモトキヨシ」という言語的要素からなる音が、人名を連想、想起させるか否かという点であった。

 特許庁は「マツモトキヨシ」は「他人の氏名」を含む商標であり、「マツモト」を読みとする姓氏及び「キヨシ」を読みとする名前の者が多数おり、その他人の承諾を得ているとは認められないものであるから「商標法4条1項8号」に該当するとして登録を認めなかった。ただし、文字の商標「マツモトキヨシ」(登録4330343号)は1999年に登録されている。

 しかし、知財高裁は4条1項8号の該当性について、「マツモトキヨシ」の表示の全国的な著名性、TVCMや店舗内での継続的な使用でCMソングのフレーズとして広く知られていたという取引の実情を踏まえたものの、言語的要素からなる当該音は「他人の氏名」を指し示すものとして連想されないと判断、特許庁の審決は取り消されるべきと判示した。

 4条1項8号の規定の趣旨は、自らの承諾なしに氏名や名称等を商標に使われることがないという利益を保護する「人格的利益の保護」であると解されている。近年4条1項8号の運用は厳格化の傾向にあり、氏名をブランド名に用いた事案では登録が認められないケースが増加していた。しかし今後、著名な商標かつその商標に接した需要者が他人の氏名を連想しないと判断できる場合は、同号の該当性を避けられる可能性もあるのではないか。あるいは、視覚で認識できる商標のケースと音の商標の場合では判断が異なるのだろうか。今後の特許庁と知財高裁の動向に注目したい。

視覚からの信用形成と聴覚からの信用形成

 商標の機能の本質は自他識別機能であり、この自他識別機能を前提として、少なくとも「出所表示機能」「品質保証機能」「広告機能」の3つの価値機能が生じるといわれている。そして商標の使用事実の反復行為によりそれらの機能は強固となり、それに伴い業務上の信用が形成され商標の経済的価値が蓄積的に形成されていく。

 音商標が従来の視覚で認識される商標と異なるのは、商品そのものに商標が付加されるのではなく、主にテレビCMやWeb広告、店頭でのマーケティング活動等で使用されることにより3つの機能のうち「広告機能」が主に発揮される点である。広告宣伝においてサウンドロゴは、消費者に企業名や商品名やブランドを印象付ける方法として効果的な手法である。使用の反復により認知が定着し、購買意欲が促進され、ブランドへの信頼や愛着等が期待できる。科学的な知見に基づくと、人は知覚可能な音の領域に対し、右脳と左脳を使い脳梁にてその音情報を処理するらしい。同様に、目から入った情報の処理も同様に行われるとすれば、情報処理の結果、どのような価値を心証形成するのであろうか。仮に、マツモトキヨシの視覚情報を大脳のどこかに記録している人々が、特定音階の聴覚情報を得たとき、識別の心証は相乗的に形成されるのではないだろうか。一方、視覚と聴覚の情報が利益相反に類した混乱をもたらすおそれがあれば、標識の専有は不安定になるだろう。知覚主義時代の新たな市場内外の競争が始まっていると考える。

 少なくとも、視覚及び聴覚の両面の相乗効果を精査し、各種のブランドを戦略的に体系化することが求められるだろう。将来、触覚の標識を支えるハプティクス技術が実用化されれば、さらに知覚主義の競争は多様化するのではないだろうか。

プロフィール

酒井 いづみ
酒井 いづみ
一般財団法人 知的資産活用センター 知財クリニックセンター研究員

大手広告代理店勤務を経てワーナーブラザースジャパン合同会社 コンシューマープロダクツ部門にて映画およびキャラクターの商品化ライセンス・宣伝ライセンス業務に従事。

修士(ビジネスロー)、修士(法学)

論文:「著名商標の冒用行為からの保護について」(2010年)、「パブリシティ権侵害の判断基準について-広告的使用の射程を中心に-」(2015年)